「紅白歌合戦2017」の出演者が発表され、次は曲目や曲順の発表が待っています。曲目発表はいつなのか?曲順の発表はいつなのか?知りたい人も多いと思います。また、「紅白歌合戦2017」の曲目・曲順発表まで時間があるので、出演者の曲目を予想してみました。 河合 奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター、アーティスト、作曲家、女優。娘は元歌手のkaho。身長160cm。血液型はO型。, 所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビアに所属していた[1]。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。, シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。, 歌以外にもピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアやアイドル水泳大会に登場していた。, 1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子のkahoは、2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューし、音楽活動をしていた時期があった[2][3][4]。, 大阪市住吉区(現:住之江区)出身。1963年7月24日、浪速区日本橋の愛染橋病院において会社員の父親の長女として誕生(2400グラムの未熟児)。誕生時、両親は大阪府枚岡市(現:東大阪市)に居住していた。1歳時の8月に大阪府八尾市に引っ越し、2歳時の10月には東京都世田谷区に籍を移した[5]。3歳年下の妹がいる。, 幼児のころ父親の職業に転勤が多く、幼稚園は東京都調布市の染地幼稚園、大阪府箕面市の箕面自由学園幼稚園、大阪府東大阪市の若宮保育園の3施設に通った[5]。, 粉浜小学校入学と同時にピアノを習い始めた。住吉第一中学校時代はフォークソングクラブに所属、中学2年の秋に日本テレビ系列『スター誕生!』に応募するが、この時は書類選考の段階で選外となる[5]。1979年に私立大阪女子学園高等学校(現:大阪夕陽丘学園高等学校)に進学する。, 1979年12月、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。河合がオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった[5]。オーディションの選考過程も紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された(最初に選考され、河合と共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵)。翌1980年3月16日に中野サンプラザで開催された決勝大会で優勝する。オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った[5]。, 同月末に上京して歌レッスンを受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みとともに、アイドル歌手としてデビュー。この過程で明治大学付属中野高校定時制に編入し、後に卒業した。, なお、歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」であった。2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。, デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う[6]。NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという[7]。, 1983年12月6日より盲腸の摘出手術で東京・渋谷病院に入院し、同年12月14日に退院した。12月18日まで休養し、翌12月19日の「夜のヒットスタジオ」で復帰を果たした。, ライブコンサートは1980年代の後半まで行われた[9]。1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブなどが行われ、EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。, 父親は大の阪神タイガースファンであったが、1985年3月25日に神奈川県民ホールで行われた横浜大洋ホエールズのファン感謝デーにゲストとして出演した。イベントでは自身の持ち歌2曲と、選手とのデュエットコーナーで「もしかしてPART2」を関根浩史と共に披露した。, 1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも関与する。1985年、ベストアルバム「NAOKO 22」のボーナストラックという形で自作曲を発表、コンサートでも次第に自作曲の割合が増え、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表。, 1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物[11]』を「かたつむり大作戦」の会場KBSホールから歌唱した。またこの時期はテレビドラマやミュージカルにも積極的に出演した。1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当した。テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。1988年に岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。, 1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。, 1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に結婚。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。, 2005年6月、芸映プロ公式ウェブサイトの所属タレント一覧から項目が削除されたが、このとき芸能事務所から所属に関する発表はされなかった。, 2006年4月26日、iTunes Music Store限定で自作ピアノ作品集「nahoko 音[12]」を発表した。同年11月28日にはCD化もなされ、同時に公式ウェブサイトが開設された。, 2008年12月21日付の竹内まりやのブログ「Pholog」に6年ぶりに再会した記事が写真付きで掲載された。, 2009年10月19日放送のSUPER SURPRISEにおいて既に芸映に所属していない事が報じられた[13]。, 2010年10月26日発売の光文社発行の雑誌「FLASH」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。, 2018年5月16日、かつての所属事務所・芸映の先輩歌手で、河合が芸能界デビューのきっかけともなった西城秀樹が63歳で逝去。河合は現在在住先の豪州から「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、多くの感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です」と、久々に公の場で追悼のコメントを発表した[14]。, 2018年11月25日、NHK-FM「今日は一日 “竹内まりや” 三昧」にて、竹内まりやへの40周年お祝いメッセージが、21年ぶりに本人の肉声で放送された。, 河合の音楽面でのトータルプロデュースは1986年〜1988年までは売野雅勇が、1989年〜1992年迄はミッキー吉野がそれぞれ務めた。1993年発表のアルバム『engagement』では吉元由美と河合奈保子の共同プロデュースとなっている。また、1985年から1988年まで宮島律子とM Rie(宮島理絵)のユニットMILKがバックコーラスを務めたことがあった。, シングルは1980年から1994年までの間に36枚が発売された。非売品ではあるが1986年3月に「《農協共済の歌》しあわせの輪をひろげよう」というシングルもリリースしている。アルバムは1980年から1993年までに、オリジナル盤はミニアルバム1枚を含む計19作品、ライブ盤は4作品発売された。またベスト盤は2007年までに16作品とCD-BOX3作品がそれぞれ発売された。この他に高橋伸明とのデュエット盤が1作品発売されている。, 1.大きな森の小さなお家 - 2.ヤング・ボーイ - 3.愛してます - 4.17才 - 5.スマイル・フォー・ミー - 6.ムーンライト・キッス - 7.ラブレター - 8.愛をください - 9.夏のヒロイン - 10.けんかをやめて - 11.Invitation - 12.ストロー・タッチの恋 - 13.エスカレーション - 14.UNバランス - 15.疑問符 - 16.微風のメロディー - 17.コントロール - 18.唇のプライバシー - 19.北駅のソリチュード - 20.ジェラス・トレイン - 21.デビュー/MANHATTAN JOKE - 22.君は綺麗なままで - 23.ラヴェンダー・リップス - 24.THROUGH THE WINDOW - 25.涙のハリウッド - 26.刹那の夏 - 27.ハーフムーン・セレナーデ - 28.想い出のコニーズ・アイランド - 29.十六夜物語 - 30.悲しい人 - 31.Harbour Light Memories - 32.悲しみのアニバァサリー - 33.美・来 - 34.眠る、眠る、眠る - 35.Golden sunshine day - 36.エンゲージ - 37.夢の跡から, 1.LOVE - 2.トワイライト・ドリーム - 3.ダイアリー - 4.サマー・ヒロイン - 5.あるばむ - 6.スカイ・パーク - 7.ハーフ・シャドウ - 8.Summer Delicacy - 9.Daydream Coast - 10.さよなら物語-THE LAST SCENE and AFTER - 11.STARDUST GARDEN-千・年・庭・園- - 12.9 1/2 NINE HALF - 13.スカーレット - 14.JAPAN as waterscapes - 15.MembersOnly - 16.Calling You - 17.ブックエンド - 18.engagement - 19.nahoko 音 / blue - 20.nahoko 音 / orange - 21.nahoko 音, 1.LIVE - 2.NAOKO IN CONCERT - 3.ブリリアント - 4.NAOKO THANKSGIVING PARTY, SKY NATIVE - Tears of Nature - Gentle Voice - THE LOVER in ME 〜First Christmas, ハンドインハンドミッドナイトパーティ - サウンズ・ウィズ・コーク - ランナウェイ サウンドレポート - 二郎と奈保子のハイ!歌謡曲 - ハウスウキウキサンデー奈保子でスタート - 奈保子におまかせ・フレンドシップ - 奈保子のひとりごと - MBSヤングタウン - DENONミュージック倶楽部・奈保子の少しだけハイヒール - しあわせにハミング - 奈保子のいい朝してますか - 三菱ドライビングポップス・奈保子のときめきトワイライト - ミッド・ナイト・マガジン, 開催終了。日本雑誌協会キャンペーンキャラクター選出は2013年度まで継続(以後、西暦はキャンペーンキャラクター担当年度)。, (2002年(平成14年)10月から2010年(平成22年)9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント), ただし、2017年現在のkahoは「今は音楽活動よりも学業を最優先して欲しい」という実母・河合の強い希望も有り、主立った歌手活動は停止中の状況である。, 療養の経緯は、自筆エッセイ「わたぼうし翔んだ ―奈保子の闘病スケッチ―」に詳しい。, 「nahoko 音 / blue」「nahoko 音 / orange」2作品同時リリース。, “アイドル”から“アーティスト”へ──類い稀な変容を遂げた河合奈保子の挑戦(前編), 西城秀樹さんの早すぎる死に“妹”河合奈保子「ショックすぎ」 野口五郎「言葉見つからない」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=河合奈保子&oldid=80045258, オリジナルアルバム18枚+企画作品2作、'83EAST・DVD映像、シングルA面カラオケ集, ライブアルバム5枚+未発表音源、ミュージカルTHE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN映像+未ソフト化ライブ映像, デビューの年の秋に開かれたファーストコンサートでは、直前まで不安定さが懸念されたものの、本番では歌踊り共に無難にこなした, デビュー当初からライブや歌番組、特に賞番組に於いて感情を表に出して歌えなくなることはほとんどなかった。この点に関して本人は「泣くと歌が歌えなくなるから」と答えている, 芸映友の会ファンクラブ発表のテレフォンガイドでは1982年夏のツアースケジュールなど、本人がアナウンスした回があった。, 2016年9月17日に行われたトリビュートイベント「〜再会の夏〜 奈保子ファンミーティング in SARAVAH東京」ではバックコーラスを務めたMILKの元メンバーも参加していた。, BRILLIANT 〜Lady Naoko in Concert(1982年11月21日)★, Lady Naoko in Concert BEST ALBUM(1982年11月21日)- BRILLIANTの短縮廉価版, Beautiful Days in 合歓(1983年9月1日)- EAST'83 △, STARDUST GARDEN 〜千・年・庭・園〜(1985年3月21日)- イメージビデオ, Fantastic Journey 91/2(1985年12月12日)- イメージビデオ, NAOKO '86 Stardust Paradise in EAST(1986年9月1日)★, アース・アーク・芸映フェスティバル 武道館が燃えた!(1987年1月25日)- 当時の芸映プロ及び系列事務所所属タレント総出演のチャリティーイベントライブ, 月夜宮殿 MY SONG FOR YOU(1987年9月10日)- EAST'87 ★, NAOKO THANKSGIVING PARTY(1988年11月21日)- EAST'88FINAL、LDのみ, NAOKO THANKSGIVING PARTY Part1〜3(1988年11月21日)- テープのみ3分割発売 ☆, THE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN(1992年2月21日)- 同名ミュージカルのライブ, Pure Moments 〜 NAOKO KAWAI DVD COLLECTION(2002年3月30日)- 映像ソフト総集編, 河合奈保子プレミアムコレクション~NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤングetc.~ (2017年8月30日) - 初のレッツゴーヤング映像化作品, SKY NATIVE(1986年3月21日)- NAO&NOBU名義+トランザムIIから成るアルバム, Tears of Nature(1989年10月1日)- the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加, Gentle Voice(1990年11月21日)- the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加, THE LOVER in ME 〜First Christmas(1990年12月8日)- 同名ミュージカル使用曲から成るアルバム, ハンドインハンドミッドナイトパーティ・(1980年10月2日 - 1981年4月2日、, 奈保子におまかせ・フレンドシップ(1984年、綜合放送(30分枠地方民放局向け番組))- 高知・山形・中部日本・山陽・中国放送, 奈保子のしあわせにハミング(1984年10月 - 1986年10月3日、総合放送/東北放送・北日本放送ほか), 奈保子のいい朝してますか(1986年4月13日 - 1987年4月5日、文化放送), ミッド・ナイト・マガジン(1987年5月22日・7月20 - 24日、TBSラジオ), 「HOTEL(第4シリーズ)16話:謎の天才料理人! 同年12月31日の第32回nhk紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。 翌年4月頃まで療養のために コルセット を腰に装着して芸能活動を行う [6] 。 紅白歌合戦は毎年大晦日にNHKで生放送される大型音楽特番。いつ放送されるのか(放送日)、誰が出るのか(出場歌手)、何の曲を歌うのか(曲目)、何時に出るのか(タイムテーブル・曲順)、知りたい情報がここに!2019年の初出場はOfficial髭男dism、Kis-My-Ft2、King Gnu、GENERATIONS、菅田将暉、日向 … 【S50ニュース!】『パックマン』40周年記念コンピアルバム『JOIN THE PAC』本日発売! KEN ISHII、テイ・トウワ、スチャダラ参加、マスタリングは砂原良徳。レアゲーム音源も!! 国民的歌番組、「nhk紅白歌合戦」(以下、紅白)は今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! 国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は、今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。第16回目は、中森明菜が日本レコード大賞で二連覇を成し遂げた年、「昭和61年・第37回大会」です。, 紅白の伝説のひとつになっている「仮面ライダー事件!」。白組トップバッター、少年隊の曲紹介で、司会の加山雄三さんが、気合いが入りすぎた?ためか、「仮面舞踏会」を「仮面ライダー!」と言い間違えるという、思わず笑っちゃうハプニングが起きました。ご本人が本番前に、「言い間違えるんじゃないか」と危惧していたことが現実になってしまったようです。でも、加山さんのキャラクターのせいか、現場は凍りつくという感じもなく、なんとなく笑って許せてしまう雰囲気がありましたね。さすが、若大将!言い間違えもなんのその、その後の進行を無事に務めました。ジャニーさんに至っては、「最高だったよ、加山さんに感謝しなよ」と言ったとか…少年隊にとっても、忘れられない初出場のステージとなったことでしょう。その後も、他の歌番組などでこのエピソードを彷彿とさせる演出がされるなど、まさに最強伝説事件を我々は目撃したのでした。, 吉 幾三名義での再デビュー曲「俺はぜったい!プレスリー」から、9年目の12thシングル「雪國」の大ヒットで、見事演歌歌手として、紅白初出場を果たした田舎のプレスリーこと吉 幾三。「俺ら東京さ行ぐだ」などがスマッシュヒットするも、奪コミックソング路線で見事に花開きました! 一発屋(二発屋?)で終わるかと思いきや、後に数々の名曲を生み出す正統派演歌歌手となりましたね。苦節…ということであれば、紅組も負けてはいません!なんと、デビュー20年目、シングル57曲目にして「女の港」が大ヒットした、大月みやこが初出場を果たしました。もちろん、一生歌手を続けても、出場できない人の方が多いわけですから、20年間かけてもこの舞台にでることができるということは本当にすばらしいことなんだと思います。後に平成になってから、日本レコード大賞も受賞することになる大月みやこさん、長年の苦労が報われたという言葉が本当に似合う実力派です。, 暴力団の新年会に招かれていたことが発覚し、大晦日の本番2日前に北島三郎と山本譲二が出場を辞退するという異例の出来事で、代理の出場をオファーされたシブがき隊は、年末年始の休暇を過ごすため滞在していたハワイから急遽帰国しての出演となりました。ハワイ休暇がつぶれて残念ですが、歌手としては年末もお仕事があるというのは人気者の証明ですから、繰り上げとはいえめでたしめでたしというところだったでしょう。辞退といえば、この年は郷ひろみも出場を辞退しています。こちらは「アメリカでのんびりするため」という、ビッグスターらしい理由によるものですが、これにより、かつての新御三家が一人も出場しないという、非常に寂しい紅白になってしまいました。これら諸々の事態が影響を及ぼしたかどうかは定かではありませんが、ついに視聴率60%を切ってしまうという1986年の紅白でした。, そんな86年、音楽シーンではTUBEが3rdシングル「シーズン・イン・ザ・サン」でブレイクし、夏バンドのイメージを定着させ、ドラマタイアップでは、渡辺美里「My Revolution」、石井明美「CHA-CHA-CHA」がヒット!J-POP花盛りといった様相を呈していました。世間的にはどんな出来事があったかといえば、ダイアナ妃来日、上野動物園でパンダのトントン誕生、ハレー彗星が最接近、ホンダがF1でコンストラクターズチャンピオン獲得などなど、結構華やかな話題も多い年でした。一方で、スペースシャトル・チャレンジャーの事故、チェルノブイリ原発事故、三原山の大噴火などの深刻な事故や災害にも見舞われました。いつか弾ける終焉を知ってか知らずか、バブルの狂乱はこの年から一気に「イケイケムード」につき進むのでした…。, ※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P36~37に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき). 伊藤 蘭が、コンサート・ツアーのファイナル公演で1年半ぶりの新曲「恋するリボルバー」を初披露! 12月には配信限定シングルとしてリリース。コンサートの模様もCSで放送決定!. 【S50ニュース!】高橋由美子デビュー30周年ベストアルバム『最上級GOOD SONGS』10/28発売。タワレコ購入特典アリ!『昭和50年男』最新号vol.007にインタビュー載ってま~す。, 菊池桃子のやさしい “癒し声” をYouTubeで… 公式チャンネル「菊池桃子のYouTubeラジオ『今日もお疲れ様です。』」が本日10/27(火)開設。第1弾コンテンツは18時から公開です!, 尾美さん、こんばんは☆ドラマで私は「太陽の罠」の再放送を是非観たいです。尾美さん…, 尾美としのりさん、こんにちは!私の感想は、「時代劇・ドラマ」などで、大変でしたね…, アザミ嬢のララバイをファーストシングルにしたのは凄いと思いました。 数ある歌の…, 憧れの名車・珍車400台超が集結! 関西最大級のイベント「昭和レトロカー万博2020」12/20開催! オークションにフリマ、AE86レストアデモなど盛りだくさん。家族で一日楽しもう!. (上記の番組ロゴは、第58回(2007年)から使用されており、赤丸部分に当該回の回数が「第◯回」と記載される), 『NHK紅白歌合戦』(エヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、日本放送協会(NHK)が1951年(昭和26年)から大みそかに放送している男女対抗形式の大型音楽番組。日本の長寿番組のひとつ。通称は『紅白』。, 女性アーティストを紅組(あかぐみ)、男性アーティストを白組(しろぐみ)に分け、対抗形式で歌や演奏を披露する。当初は正月のラジオ番組であったが、NHKがテレビ放送を開始した後は大晦日の夜に移動し、「1年の締めくくり」の代名詞となる。放送が延期・中止されたことは1度もない。, 日本を代表する人気歌手が大勢出演し、さらに歌手以外のゲストなどもその年人気を博した人物が選出されるため、放送開始当初から高視聴率を記録している。深夜に及ぶ時間帯の番組でありながら年間視聴率の上位に食い込み、多くの年で通年の最高値を弾き出している。そのため国民の関心は高く、年の瀬から正月にかけて、新聞・雑誌から商売敵である民放局までが紅白に関する話題を取り上げる。, 上述の通り紅白の両組対抗形をとるが、番組の進行の上ではあくまでショーとして番組を構成する要素のひとつであり、決して「対抗」を前面に押し出しているわけではない。ただし、あくまで形式上は「対抗」であるため、その組み合わせの枠の中に入る歌手は、正式には「番組出演」ではなく「紅白歌合戦出場」と呼ばれる。, BS4K・BS8Kは総合テレビとは別制作。高精彩を生かしてより現地で見ている紅白に近い体験をコンセプトに、同じステージを別々に制作・中継する。そのため、カメラアングルが総合テレビとは異なり、歌詞テロップも出ない。, またNHK主体ではないが、海外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送される場合がある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。, BS2・BShiでも放送されていた一時期はBSのアンテナとチューナーさえあれば山間部や島部の難視聴地帯でも生放送で視聴可能となっていた。, 第18回(1967年)以降、長らく21時(JST、以下同じ)開始に固定されてきたが、2部制となった第40回(1989年)以降は19時台から20時の間を推移している。1部と2部の間には、その年の最後の『NHKニュース』を放送する。なおBShiでは放送されず、『デジタル紅白歌合戦』と題したNHKホール前からのこの後の内容を紹介する中継に差し替えた年もあった。BS4K・8Kはニュース前のつなぎコメントも含めてバックステージからの中継放送に差し替えている。, 終了時刻は、総合テレビでは第13回(1962年)以降、一貫して23時45分である(放送メディアによっては例外あり)。また、次の番組も『ゆく年くる年』で固定されている。, 出演者に対しては正式発表まで厳重な「緘口令」が敷かれ、原則NHK側からその都度発表される。一方で特に司会者と出場歌手の人選は注目を集め、大衆紙などでは正式発表の時期に「関係者からのリーク」として予想記事が出されることがある。, その年の紅白の「顔」ともいうべき存在で、例年その年の出演者の中でもっとも早く決まる(10月後半から11月)。正式決定とともに、本人出席のもとで記者会見がNHK放送センターで行われる(会見を行わず、広報を通じてコメントを発表するのみの場合もあり)。, 通常、「紅組司会」「白組司会」「総合司会」の三者がいる。紅組司会と白組司会はそれぞれの組の曲紹介を、総合司会は番組全体の進行や両組司会のサポートを分担してこなす。基本的に紅組司会は女性が担当、白組司会は男性が担当する。紅組司会と白組司会はテレビタレントが、総合司会はNHKアナウンサー(東京アナウンス室在籍)が担当することが多い。全員のうち、アナウンサーは必ず最低1名は入っている。これは紅白生放送中にアクシデント(重大事件・事故・災害や、本番中でのいわゆる放送事故など)が発生したり、芸能人司会者が本番直前にアクシデント(病気・負傷・不祥事など)により出演不能となったりした場合の対応のためである。両組・総合司会は通常それぞれ1人ずつだが、複数名が担当した第37回(1986年)、グループが担当した第61回(2010年)- 第65回(2014年)、三者の枠を取り払った第56回(2005年)などの例外がある。, 司会担当者は、ほかの長時間番組や音楽番組と比べて特定の人物が何回も続けて担当することは少ない。場合によっては司会未経験のタレントが抜擢されることもある。紅白の台本は、生放送という関係上非常に細かく設定されており、進行上アドリブの必要性は少なく、あくまで「司会者」を演じる役者的性質が強いためである。司会が歌手の場合は、出場歌手を兼ねる場合もある[注 5]。, 出場歌手はおおむね紅白両組それぞれ20組から30組の間を推移している。対戦に組み込まれる正規の歌手は番組への出演が「出場」と呼ばれ、「出場回数」も正式にカウントされる。例年11月下旬に発表記者会見が行われ、その年の初出場の歌手が出席するか、あるいはメッセージが公表される。, 両組の割り振りは、メインボーカルの性別を原則とする。そのため、和田アキ子、原由子などは出場形態の違いにより両組からの出場経験がある。番組初期においては厳密に紅組=女性、白組=男性と分けられており、男女混成グループは本来の形態での出場が不可能であった[注 6]。そのため片方の性のメンバーのみでボーカルとコーラスをまとめるなどのアレンジを強いられていた。男女混成グループが初めて出場したのは、第19回(1968年)のピンキーとキラーズであり、このときもどのような扱いにするのかでもめたという。結局メインボーカルがピンキーであったため紅組となったが、初出場時のみ男性メンバーは歌手席に座れなかった。その他のおもな割り振りの例は以下の通り。, 複数の名義で並行して活動している歌手は、かつては原則両方で出場することはできず、沢田研二が第40回(1989年)において、ソロ名義とザ・タイガースの双方で出場した事例が長らく唯一であった。しかし、2000年代後半からは同系列の複数のグループ・ユニットをメンバーが掛け持ちし、さらにそれぞれヒットする事例が出てきたため(モーニング娘。、AKB48、EXILEなど)、徐々に複数の掛け持ち出場が認められるようになってきた。, 第26回(1975年)のずうとるび(日本テレビ系列『笑点』出身)以後、民放番組からデビューした企画の歌手(番組内のキャラクター)など民放色の強い歌手も出場しており、該当の番組を特別に意識した演出(応援など)があるなど、民放とのコラボレーションに対しても比較的寛容である。対する民放の側も、デビューするときに「紅白を狙う」と公言したり、出場が決まった際には紅白本番中やその舞台裏の模様を後日番組内で「紅白ドキュメント」などと銘打って放映したりすることがあるなど、紅白とのコラボレーションに積極的である[7]。, 「歌合戦」と称しているものの、演奏のみで歌わないグループの出場もある(G-クレフ、女子十二楽坊など)。, 基本的には、その1年間にヒット曲を出した歌手を対象として、出場者の選考が行われる。本人や所属レコード会社・所属事務所に対して、選考対象とされることや出場への意思の有無の確認が行われ[注 7]、例年11月ごろの選考会議で最終決定される。発表と同時に記者会見が開かれ、『NHKニュース』をはじめ各メディアでも報道される。この記者会見には初出場者が出席することが恒例となっている。第61回(2010年)以降、出場者発表会見はインターネットでもストリーミング配信で生中継がされている[8]。, 番組側は基本的に選考の過程や理由などを明らかにはしておらず、非選出者については発表記者会見の質疑応答の中で、最低限の事情を明らかにしている程度である。第65回(2014年)、第66回(2015年)の発表記者会見では「今年の活躍、世論の支持、番組の演出・企画に沿う」という3点が具体的に提示されている[9][10]。第65回では以下の5つのデータが出場歌手決定の参考資料とされた[9]。, 出場歌手選考の参考として、第23回(1972年)の選考時より「ご意見を伺う会」が発足し、その会員から意見を求むという体制が第38回(1987年)まで続いた。NHKが視聴者を対象に行うアンケート結果は第37回(1986年)までは重視されていたが、以降は参考程度に留められているという[11][12]。原則として結果は公表されない。, 紅白の出場歌手に選出されるには、第一義的には音楽業界での活躍、すなわち音楽セールスの実績(レコード、カセット、CD、DVD、音楽配信、USEN、カラオケなど)・実力・知名度・話題性・世論の支持・歌唱力・同回のテーマとの合致・『NHKのど自慢』出場者に自身の楽曲が選曲されることなどが重要となるが、ほかにも以下の条件が存在するとの指摘がある。, NHK番組への出演・関与や番組主題歌の歌唱など、NHKに対する貢献度が選考を左右する。たとえば『連続テレビ小説』の主題歌、『大河ドラマ』出演、オリンピック(パラリンピック)・FIFAワールドカップのNHK中継テーマソング、NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学校の部)提供などの場合、出場しやすい面がある(本番中も、タイアップにちなんだ曲紹介や演出がある)。, 出場歌手については、所属する芸能事務所毎に一定の枠、数的制限が設けられる慣例があるとされる。この慣例については、番組は公式には認めていない[13]が、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川が「NHKに2枠固定と言われ意固地になっていた」と枠の存在を暴露する[14]など、公然の秘密となっている。, かつて、1部制時代の1980年代前半までは芸能事務所毎の枠は存在していなかった。このため第25回(1974年)では、出場歌手の紅白計50組中10組を当時全盛期にあった渡辺プロダクションに所属する歌手が占めるという状況も見られた。しかし、その後は一定の枠が事実上設けられる状況となったため、かつての渡辺プロほどの規模で特定の事務所が出場枠の一定割合を専有することは難しくなった。, そのため、大ヒット曲を出しながら事務所枠の関係で出場機会に恵まれない例もある。1980年代から芸能界で大きな影響力を持つようになったジャニーズ事務所に所属する歌手の出場は、第48回(1997年)以降長らく、SMAP・TOKIOの2組に限定されていた[注 8]。その後、第60回(2009年)に嵐とNYC boysが初出場して以降[15]、同事務所からの出場歌手は増えている。, NHKは公共放送でありその番組は国民が払う受信料によって制作され、出演者に対するギャラも受信料から払われている。そのため、イメージがクリーンであることも、出演者の選出・決定にあたって重要な必要条件の一つである。実際に、この条件が原因で落選や辞退、あるいは出演の取消という事態が発生している。, 特に日本の芸能界は"黒い交際"、すなわち暴力団・ヤクザなどの反社会的勢力が興行師として采配していることが多く、これが表面化すると選考にも決定的な悪影響を及ぼす。それは大物歌手・ベテラン歌手であっても例外ではない。過去には長年紅組トリを独占していた美空ひばりが、1973年、暴力団構成員であった弟・かとう哲也の逮捕をきっかけに、三代目山口組・田岡一雄との関係が問題視された。ひばりへのアンケートの支持が低下し、「ご意見を伺う会」からの批判が相次いだことを理由に落選[16]。正式な出場歌手としてはついに復帰しなかった。また、第37回(1986年)では、北島三郎・山本譲二が暴力団主催の宴席に出席していたことがメディア報道され、本番の差し迫った12月29日に出場辞退を余儀なくされた。代役として角川博と鳥羽一郎が選出されたものの、今度は鳥羽が自身も暴力団とのかこの関係を自ら申し出る。この一件に対するNHKの偽善の姿勢を批判して辞退した(代役はシブがき隊)。2011年には、暴力団の影響力排除を目的とした各都道府県の暴力団排除条例が施行され、人気司会者であった島田紳助が暴力団との交際発覚を理由に芸能界を引退し大きな話題になったことなどもあり、NHKも暴力団排除指針を公表。同年の第62回の選考をめぐって、黒い交際の情報がある人物は排除しなければならず、NHKが出場候補者の人選に通常より神経を使い、報道局など組織内の多くのリソースも投入していると各メディアで報じられた。, 出場歌手発表時、「誰が出場したか」と同様に、「誰が出場しなかったか」にも注目が集まる。特に1980年代からはミュージシャン系の歌手を中心に「辞退をすることがステータス」「出たら負け」という風潮が高まり、出場の打診を歌手サイドの意思で断る事例が増えた。これらのアーティストは「出場辞退組」と呼ばれるようになる。辞退する理由はさまざまで、知名度が出てきたころに数度だけ出場する例(THE ALFEE、サザンオールスターズなど)、NHKとの不和が原因で出場しない例(アリスなど)、紅白のコンセプトに賛同しない例(小田和正、Mr.Childrenなど)などである。但し、後年になって出場するケースも出ている。, また、常連歌手がある時点で自発的に「勇退」を宣言、翌年から出演を取り止める例(北島三郎、森進一など)もある。最後の出場回の前に宣言したときには、最後のステージとして花を添えることも可能である。一方で、落選したのを契機に「勇退」を宣言するケースもある。常連歌手など功労者を落選させる場合、番組側が該当歌手の名誉のために、公式には「辞退した」ことにさせる場合がある[17]。, なお、出場が正式決定してから辞退し、代替出場の歌手が立てられたケースは少ないものの、以下の事例がある。, サンディー・シムス、HOUND DOG、後浦なつみは選出されたのがこの1回のみで、幻の出場となっている(後浦なつみについてはメンバー3人が別名義で出場経験あり)。このほか、出場する予定だったグループの一部の人物が病気・負傷・不祥事などの理由により欠場・出演辞退という事態になり、残りのメンバーで出場したケースも存在する。, その年を代表する著名人(芸能人・スポーツ関係者・音楽関係者・文化人・メディア関係者など)が10人前後起用されることが恒例である。審査への参加だけでなく放送内で随所で司会者とのトークが挟まれ、番組の進行にも関わる。第55回(2004年)までは「特別審査員」と呼ばれており、またNHK番組制作局長が「審査委員長」と呼ばれていた。, ゲスト審査員の発表はもっとも遅く、12月下旬に行われる。一番起用される可能性が高いのは、翌年の『大河ドラマ』(まれに当該年度or次年度・前期の『連続テレビ小説』)の主演者であり、司会や歌手に選ばれた場合を除き、ほぼ毎年審査員となっている。スポーツ関係では、プロ野球の日本シリーズ優勝チームの監督や主力選手、大相撲の看板力士(その年に新横綱、新大関になった力士など)が多い。オリンピックのメダル獲得者は、競技と無関係の場への登場をよしとしない日本体育協会の意向から当初は選出されなかった。初例は第35回(1984年)における江上由美(ロサンゼルスオリンピック女子バレーボール・銅メダル)で、以後は選出が恒例となる(オリンピック開催前年にメダルを期待される選手・監督が起用されることもある)。, 上記のメイン出演者以外に、さまざまな著名人がゲストとして出演する[注 11]。ジャンルとしては、歌手や楽曲と関連する人物の応援、楽曲提供者などの演奏参加、会場外からの中継の進行役(大抵はNHKアナウンサー)などさまざまである。また、その年ブレイクした若手のお笑いタレントが幕間でネタ見せするのも定番である。主要ゲストについては、本番前に逐一出演が発表されていく。, また、大晦日の祝祭ということで、民放の現職アナウンサーのNHK出演も特例で実現している。, 第61回(2010年)からは、『紅白ウラトーク』が開始。会場座席の一部にセットを組み、放送時間中そこからのトークを副音声で放送し続ける。専属のMC(タレントとNHKアナウンサー)がおり、歌手、ゲストが入れ替わり立ち代わり出演する。, 両組司会は(特にタレントの場合)、本番までNHK関連の仕事が入る。各テレビ情報誌の年末年始号の表紙に起用されることも多い(紅白の司会を務めるにあたってのインタビューも掲載される)ほか、両組司会を表紙にしたテレホンカードや図書カードも発売される。, 出場歌手の曲目や曲順は原則すべて公開されており、曲目は12月中旬、曲順は12月下旬に発表される。, 12月下旬に入ると、紅白のPR特番が多く組まれることも恒例で、司会者をはじめその年の紅白の出演者や紅白の関係者がゲストに招かれる。過去紅白の再放送や名場面放映を中心とした番組もある(いずれもBS2『思い出の紅白歌合戦』や『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)。, 会場と楽屋を結ぶ下手側の通路の角に神棚があり、リハーサル開始前には神主を呼び、スタッフ勢ぞろいで成功祈願を行う。歌手はリハの合間に無事歌唱祈願するのが習わしである[19]。, 本番2日前には台本が完成し、リハーサルが始まる。台本は非常に厚く、トークも含めてすべてト書きされており秒単位での進行が組まれている。ただし一部の演出については、詳細を台本では白紙扱いにし(出場歌手や司会者にも伏せられる場合あり)、本番までシークレットにするものもある。, リハーサルと並行して司会者と出場歌手で面談が行われる。その面談では、司会者側より出場歌手に本番内での曲紹介の内容について説明したり、出場歌手側より司会者に自身の曲紹介をするにあたっての依頼や自身の歌唱にあたっての思い入れ・エピソードなどを語ったりする[20][21]。この面談の内容が本番内で披露されることもある。また、メディア記者もNHKホールに詰め、リハーサル・本番の合間を縫って出演者への取材(ぶら下がり形式)が元日未明まで行われる。おもに、同年の総括や翌年への抱負が述べられるのが恒例である[22]。, NHK側からは弁当などの提供は原則としてなく、変わりに司会者、歌手が差し入れを行うことが慣例である。, 番組のオープニングおよびエンディングでは、歌手全員がステージに登場する。かつてはオープニングではステージに向かって出場歌手が入場行進をすることが基本であり、放送開始から第32回(1981年)、第36回(1985年)から第38回(1987年)、第40回(1989年)、第47回(1996年)から第48回(1997年)まで「乾杯の歌」を入場行進曲に使用していた。, タレントの両組司会は、オープニングは両組の色の晴れ着姿[注 12]で登場する。総合司会は、男性アナウンサーの場合はスーツ、女性アナウンサーの場合はドレスを着用する(以降、スーツの場合を除き数度の衣装替えがある)。各司会の紹介[注 13]を経て、そのまま最初の歌手の曲紹介へと入る。, 原則として、紅・白両組の歌手が1組ずつ対決する形式である。歌唱時間は1回につき1組3分程度が定番[23]だが、その回の目玉の歌手、楽曲においては優遇され、最長では10分近いこともある。一方で、さほどトピックスのない歌手の場合は2分弱まで短縮される。両組間の順番が途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる。, 2000年代以降はこの対戦形式の原則に入らない事例も多くなり、対戦の途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手と演出上の対戦相手が異なる例[注 14]、正規の対戦歌手とカウントされないながらも対戦枠に組み込まれる例[注 15]などがある。さらに演出上、別々に出場したソロ歌手やグループが組んで1パッケージで登場する[注 16]こともあり、これらが原因で両軍で出場者数が異なる年もある。, 4組程度の歌唱が終わったところで、原則総合司会のアナウンサーがゲスト審査員を紹介[注 17]、また審査方法や総合テレビの生中継以外のメディア展開(ラジオブースや裏トークチャンネル、パブリックビューイングなど)を説明する。司会の定位置は舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介やほかの出演者とのトークを行う。舞台は紅組が下手、白組が上手に割り当てられており(第4回〈1953年〉のみ逆)、番組前期は曲紹介も両方の花道で別々に行われていたが、NHKホールは楽屋が下手側にあるため、のちに白組も最初と最後の2組程度以外は下手側で行うようになった。以降原則両組司会が番組進行を担当し、総合司会のアナウンサーは要所要所で両者の進行を補助する。, 原則出演歌手は中継も含めて生放送内で歌唱するが、録画出演もまれに行われる[注 18]。, 舞台転換やステージの演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用や長時間を費やすこともある。3Dマッピングなど、最新の映像技術も駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子と美川憲一を筆頭に、晴れの紅白のために多額の自己負担をする場合がある。, 歌の間にはその年のトレンドやテーマに沿ったコーナーがあり、歌手有志が参加する。NHKの人気番組が取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなんだ演出が行われることもある。また、正規のステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に2010年代以降では、視聴率の都合上、人気の高いポップス歌手を随所に登場させる(演歌歌手の演出としてのバックダンサーなど)演出がなされる。その年に亡くなった著名人の追悼企画が行われることも多い。, 会場の観覧者にはペンライト、LEDライト、リアルタイムARシステム、サイリューム、造花、お面などの小道具が配られ、番組側の指示などに従って演出に参加する。出場歌手にもペンライトを配って、ステージ上で使用させることもある。, その年内をもっての引退・休業を発表した歌手や解散・活動休止を決定したバンド・グループが選出された場合、「ラストステージ」として注目される[注 19]。歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白が最後の舞台として選択されやすい。, 両組最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」)として、特別に注目を集める。通常、ベテラン、大御所と呼ばれる歌手が選出される。まれに若手歌手が選出されると、「大抜擢」と表現される。最後の数組の歌唱の際には、出場歌手も両方の花道に並ぶ。, トリは番組初期は演歌が流行していたこともあり、長らく演歌歌手が独占していた。初めて両組ともにポップス歌手から起用されたのは、演歌が記録的に不作であった第29回(1978年)の山口百恵と沢田研二である(山口百恵は当時19歳であり史上最年少)。その後、演歌の人気が低下してもこの傾向は変わらず、また演歌歌手も出演歌手中「大御所」の位置にあったため、トリを飾るには違和感がなかったこともある。ポップス歌手のトリが増えたのは、演歌歌手の出場が減った2000年代後半からである。ポップス歌手においても、DREAMS COME TRUE、高橋真梨子、松田聖子など、ベテラン歌手の起用が多い。, 勝敗はゲスト審査員と会場の観客および地上デジタルテレビ放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。長らくは、全歌手の歌唱後のゲスト審査員と観客の投票で決まっていたが、21世紀に入ると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時と合わせて2度)。一般視聴者の票は集計に時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会のアナウンサーが投票を呼びかけ、2組の歌唱中に投票と集計、ニュース直前に結果を表示する。最終投票時は、投票中に「ハイライト」として、全歌手の歌唱シーンのダイジェスト(1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る。投票中に、審査員やゲストを含め出演者全員(年齢制限の関係上、実際にステージ上にいるのは18歳以上の出演者に限る)がステージ上に上がる。, 優勝(勝利)チームが決定すると、テレビ画面には「○組優勝!